結末は…
こんにちは。劇団アインザッツ主宰(だった)山根です。
公演日程の変更などもあった中、
お客様に足を運んでいただけたこと大変感謝しております。
千秋楽から少し日が空いてしまい申し訳ありません。
夏公演最後のご挨拶をさせていただきたいと思います。
少し長いですがお付き合いくださいませ。
今回の公演は、カラマーゾフの兄弟をベースに私なりにいろいろ考えてることを詰め込んで形になりました。
原作は、農奴解放期のロシアで新聞連載されていたもので、宗教観や身分的な格差が当たり前に存在し、名前も父称があったりあだ名があったりで複雑で今の日本人には分かりづらいと言えると思います。
しかも作者は敬虔な信徒なのに神の存在を否定する登場人物がでてきたり、好色で衝動的な登場人物の名前が作者と一緒だったり…
様々な書評も読みましたが、読めば読むほどなんでこんな作品を書いたのだろうと思いました。
挙句、絶筆ですし…ここで死なないでよ!!って思いました。(理不尽)
正直私は登場人物達の行動や何を考えているのかといった点は完全には理解できた気がしていません。
でも、この登場人物たちが実在の人物だったとしたらそれは当たり前のように感じます。
他人のことは自分には分からず、自分のことは他人には分からない。
もっと言えば、自分のことさえ自分には分からないことがある。
人間関係を持てばお互いを傷つけることもあるし、血が繋がってようが反りが合わないなんてこといくらでもあると思います。
なんかうまくいかなくて後悔しても譲れないものがお互いにあって
もがいてももがいてもどこかに苦しさが残り、それでも今この時を最善の選択をしながら生きていると信じている
そういうものなんじゃないか?と思ってあのような登場人物たちになりました。
ドミトリー、イワン、アレクセイ、フョードル、グルーシェニカ、カテリーナ、スメルジャコフ、グレゴリー、影、裁判官
どの登場人物にももう会えないのかと思うと少し寂しいですね
少し感傷的になってしまいます
さて、私には本来の原作の結末は続く予定だったからか意味深なようであり、すこしさらりとしすぎているような気もします。
続くということは未来があって、その未来が読めないのは現実も一緒で
何かを選び何かを捨ててその先に進んでいくしかない。
でも今は
劇団アインザッツ「黒い尾まがり猫のレゾナンス」ここまでで終演です。
”カラマーゾフの兄弟“ではなく”黒い尾まがり猫のレゾナンス“は皆様にとってどんな結末を迎えましたでしょうか
少なくとも私にはハッピーエンドでした!