たまげきブログ

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公演情報や稽古場ブログなど、法政大学多摩演劇研究会の活動を公開します!

多摩劇電波クラブによせて(ただの回顧)

お世話になっております、多摩劇2年の佐藤でございます。

 

本日は多摩劇電波クラブ・第二回公演『近くて遠い同窓会』(NAKAMURA ver)並びに(SAKAKIBARA ver)を生配信致しました。ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。(ちなみにSAKAKIBARA verの脚本は私めが担当致しましたので、そちらも何卒よろしくお願い致します)

まだご覧になられていない方は、多摩劇Youtubeチャンネルにて生配信のアーカイブがございますので、ぜひご覧ください。

そして、明日7日の18時からは(OHYAMA ver)を生配信致します。こちらも、ぜひご覧ください。

 

さて、およそ2週間に渡って続いたブログ更新リレーも、残すところは私と糸魚川さんのみとなりました。本番当日を迎えたことで、告知することも特になく、かといって座組員に寄り添った総括は糸魚川さんに任せた方がいい気がするので、今日は多摩劇電波クラブの言い出しっぺこと私の回顧録にお付き合いください。

 

実は、前作であり拙作『カタストロフィーはまだ』の配信の際、総括するブログ記事を上げようと、ひそかにiPhoneのメモに草案を書いていたのですが、途中まで書いたところで力つきてしまい(当時は燃え尽き症候群逆流性食道炎とで非常にナーバスな状態だったのです…)とうとう日の目を見ないままだったので、これ幸いと以下に引用します。

 

(佐藤のiPhone・2020年9月28日13:34のメモから引用)

ほんとにおしまい

 

2020年9月26日、早朝に見た夢。

 

知らなかったが、どうやら僕は既婚者で2人の子どもまでいるらしい。そのくせ、サークル内の誰かと不貞関係にある。僕も知らない、どうやら後輩らしい関西弁を喋る男2人がタバコを吸いながら言う。

「佐藤の兄ぃ(あにい)、既婚の子持ちらしいで」

「なんかえらい大変なことなっとんな〜」

その通り、夢の中に僕(というか主観)は登場しなかったが、サークル内で僕は大炎上をしているという。それもそうだ。あまりの事態に、胃の底が冷える感覚を覚え、そのせいで目が覚めた。

枕元の時計を見る。5時半。今日は15時から配信だから、まだ寝れるな。夢見も悪かったことだし、僕は二度寝をすることにした。素敵な夢を見させておくれ、と少しだけ念じた。

 

気がつくと、僕は空港にいた。傍にはキャリーバッグ。Go to トラベルである。行き先は北海道・新千歳空港。旅嫌いの僕でも、一度行ってすっかり愛着が湧いた北海道の地へ、今度は一人で旅立つらしい。僕は不安を覚えながら、搭乗のための手続きを次々と済ませていく。そうだ、機内では漫画を読もう。公演が終わるまで我慢していた『チェンソーマン』5巻以降をついに読んでしまおう。僕はベンチに腰掛け、キャリーバッグを開ける。しかし、最小限の生活用品やら着替えやらしか見当たらない。本棚に入れっぱなしだったか、ならいっそのこと、本屋で買ってしまおう。僕は空港の本屋に向かう。漫画を買う。ソワソワしながら搭乗の時間を待つ。そして、僕はチケットを鞄から取り出し、それを片手に搭乗口へ向かうのだったーー

 

「俺、サークルやめんの?」

何のメタファーだよ、と思った。公演の千秋楽日に見る夢としては、この2本立ては示唆的である。念のため断言するとやめようとは思っていない。むしろこれだけやって、なぜやめなければいけないのか。若干の不満を覚える。ベッドサイドの時計に目をやると、11時だった。やばい、そろそろ起きないと。多摩劇電波クラブ「カタストロフィーはまだ」という企画が立ち上がって1ヶ月弱。その活動最後の日は、やけに示唆的な夢から始まった。

 

多摩劇初のリモート企画・多摩劇電波クラブは、僕の「リモート演劇って何か面白そうじゃね?」という軽い好奇心から始まった。この頃、つまりは自粛期間中に、いくつかの劇団がZoomの通話を生かしたリモート演劇をYoutube等で公開していた。面白そうなコンテンツにはとりあえず触れてみる、というどこか厚顔無恥な僕はそれらを見ては「俺ならこうする」「こういうアイデアは面白そう」「リモート演劇はこういうところが短所なんやな」という妄想を繰り返していた。そして、「企画書さえ出せば余程のことがない限りGoサインを出してくれる」という多摩劇の性質を生かし、ズケズケと企画書を提出し、「カタストロフィーはまだ」という脚本も書きあげた頃には、あれよあれよという間に企画が成立したのである。

 

結果的に、今回の公演には一年生が5人参加してくれたのだが、当初は既存のメンバーでやる気でいた。役者が2人揃えば公演はできるので、心当たりのある同期に頼んでやってもらって、20分の短編だから1ヶ月サクッと稽古すれば良いのだから、割と楽そう、というのが僕の見立てだった。風の噂で新歓用の、サークル入会を迷っているらしい一年生が参加しているグループラインがある、というのを知った。でも、ただでさえイレギュラーな時期に、全然知らないサークルの、本当に知らない人がやろうとしている未知数な企画に参加しようとする人はいないだろう。しかし、まあ一応声くらい掛けとくか、という軽い気持ちで、同期に頼んでグループに入れてもらい、お上に何の断りもなく「参加しませんか?」という旨を送った。

 

なかなか時の流れを感じる文章である。それから約半年、Gotoは中止になったし、僕は『チェンソーマン』を11巻まで読んだ。そして「割と楽そう」という見立ては、逆流性食道炎という形で崩れ去ったのだった。(もちろん公演だけが原因じゃないけど)とはいえ、逆流性食道炎以上に得るものもたくさんあったことは勿論のことです。

 

※※※

 

「ほんとにおしまい」という一文が示すように、当時の僕はちゃんとピリオドを打ちたかったんだろうなと思う。正直なところ、前作をやって以来僕は「多摩劇電波クラブ」を持て余していた。本当はもっと短いスパンで、いろんな人に声を掛けて、脚本や演出をやってもらって、いろんな作品をやろうと思っていた(庵野監督が主宰する「日本アニメ―(ター)見本市」みたいなイメージで)のだけれど、自分の実力では『カタストロフィーはまだ』以上のものは作れそうになかったし、当時は燃え尽き症候群逆流性食道炎でそれどころじゃなかった。リモート演劇は「不便さ」を逆手にとる必要があって、それが面白さなのだと思うけど、その「不便さ」に向き合うほどの体力は、当時の僕には無かった。

 

でも、本作によってようやく僕はピリオドが打てた気がする。それは「不便さ」に悪戦苦闘する演出の同期たちを見ていて、脚本を担当することでもう一度「不便さ」と向き合うことができたことで、何よりも、前回の公演よりも、多くの人たちが(ほとんど後輩たち!)参加してくれて、初めは僕の脳内の妄想にしか過ぎなかった「多摩劇電波クラブ」が(リモートだから形はないけれど)広がったんだなと感じられた。

『カタストロフィーはまだ』ならびに『近くて遠い同窓会』に携わった皆様、ほんとうにありがとうございました。

 

そして、来年度以降、どのような形での活動になるのか。現時点では全く想像ができないし、いずれにせよまた「不便さ」と付き合っていくことになりそうだけれど、まあ何とかできるだろうな、と無根拠に楽観している。僕はこれからも、「不便さ」とうまく付き合えるような気がしている。

 

でも、そろそろ僕は、四角いフレームに縛られることなく、あちこちを動き回る作品を作りたい。リモートで作った2作を生かしつつ、リモートではなし得なかった、対面だからこそ得られるもの・表現できることを取り戻す、そんな作品を作りたいな、と最近はよく妄想している。いつになるか分かりませんが、まあいつかできれば・・・と思っております。

 

実は、先ほど引用した当時のメモには続きがありまして、当時はこれを結びの文章にしようと思って書いていました。ただ、ここに書いてあることは今も変わらず思っていることなので、今回の結びの文章とします。

 

打ち上げの際、一年生からも、そして同期や先輩からも、「このような機会を設けてくれてありがとう」や「参加して良かった」と感謝の言葉を沢山貰った。僕としては想定外の言葉だった。でも、こんなに嬉しい言葉は無いな、とも思った。そして、むしろ感謝しなくてはいけないのは、何よりも自分だよな、と思った。こちらこそ、未知の企画に参加してくれて、本当にありがとう。正直、この作品が自分にとってこんなにも思い入れ深いものになるなんて、思ってもいなかったです。この作品にたくさんの価値をつけてくれて、ありがとう。