新説・徳川将軍説①
以前、僕はこのブログで、「僕は多摩劇の13代会長だから、江戸幕府で言うと、徳川家定ですね。目立たないですけど、頑張ります。」的な事を書いたんですよ。
その時、OBの鵜殿さんから「がんばれ!3代目会長より」って、コメントを頂いたんです。鵜殿さんは徳川家光って事です。10代前の大先輩なのに、僕なんかにコメントを頂けるなんて、まさに江戸幕府の基礎を固めた家光級の偉大さですね。
で、ある日、その事を夜ふかしの岡田さんに言ったら、「鵜殿さんが3代目なら、俺たちの代は5代目って事になるね。」って教えてくれて、岡田さんは、多摩劇の徳川綱吉だって事になったんです。当時、一般的な演劇研究会だった多摩劇に、ガリガリ暴力団という、コントユニットを立ち上げたという事は、生類憐みの令級のインパクトがあったんですね。
で、岡田さんはその話を進めていって、「じゃあ、原や茂木の代は8代だね。」って話してくれたんです。徳川吉宗ですね。ガリガリやテアトルプラクティコ等が活発に活動していた時期、パッションパッション等も加わり、多摩劇は多摩キャンを多い盛り上げてたんですね。まさに、目安箱、上げ米、足高の制、小石川養成所、公事方御定書など、活発に新制度を打ち出し、中世を大いに盛り上げた享保の改革にかぶります。観客動員もこの時の年貢高のように大いに安定していたんです。
さらに、話は、「そうなると、宮本たちは10代だね。」って所に向かったんです。その代は、10代前田さん、11代宮本さんと2代続けて会長を出しているので、徳川家治、徳川家斉の時代です。田沼意次、松平定信らの幕政改革の時代です。改革と言えば、まさにパッションパッションです。叫んだり、踊ったり、バンドしたりと、もう演劇なのか分からないスタイルは、まさに改革ですね。この家治、家斉の時代は、約80年続いた長いものだったのですが、この二人の治世も、4年生がいつまでもたまり場にいるという、長いものでした。
つづく
(萩原)